le-temps-lagrange 何世紀もの歴史
はじまり

 

中世と呼ばれる時代には、シャトーはふたつに分断されていました。敷地を流れる小川の東側に広がるペルカユス(Pellecahus)の小作地。そして西の丘上に位置するラグランジュ・ド・モンテイユ(Lagrange de Monteil)のお屋敷。ふたつの領地は17世紀に統合され、ラグランジュの農園が誕生します。

その後200年間、シャトー・ラグランジュの所有権は、一つのファミリーに代々受け継がれ、維持されます。中でもカリスマ的リーダーとして高名を馳せたのが、1712年から1746年までシャトーの運営指揮をとった、シャルル・ド・ブランヌ・ド・クール(Charles de Branne de Cours)です。ワイン用ぶどう生産に革新的な変化がもたらされていた時代、同家はボルドーでも有力な一族として知られていました。当時ムートンの所有者でもあった同家のもとで、ラグランジュはメドック有数の名門ワイナリーへと発展をとげます。彼の後を継いだのが息子のアントワーヌ・ド・ブランヌ(Antoine de Branne)。そして、その後を継いだのが1771年にシャトー所有権を取得した、大甥にあたるジャン=バティスト・アルブエ・ド・ラ・ベルネド(Jean-Baptiste Arbouet de la Bernède)です。彼は設備の近代化に努めました。現存する醸造庫もこの時代に建てられたものです。

1787年、当時アメリカ合衆国駐フランス大使であったトーマス・ジェファーソンは、ラグランジュを第3級に格付けします。ジャン=バティスト・アルブエは、1790年、妻の甥にあたるジャン=ヴァレール・カバリュス(Jean-Valère Cabarrus)にラグランジュを売却。彼もまた有力ネゴシアン一族の出身でした。彼はワイン生産にさらに特化した事業体制の整備に注力するとともに、イタリア人建築家ヴィスコンティ(Visconti)に依頼してイタリア・トスカーナ風の塔を建設。シャトー建築にさらなる優美さをもたらしました。この塔は現在までシャトーの象徴として愛され続けています。ジャン=ヴァレール・カバリュスの死後、シャトーは同家の姻戚であったジョン・ルイス・ブラウン(John Lewis Brown)によって買収されます。

デュシャテル家:黄金時代

 

1842年から1875年、まさにラグランジュの「黄金時代」です。その当時、シャトーの所有権はデュシャテル伯爵(Comte Duchâtel)にありました。彼はフランス国王ルイ・フィリップのもとで内務大臣を務めていた人物で、1855年のラグランジュの格付第3級入りも、常に長期的視点に立ち、先見の明に長けていた伯爵の功績といえるでしょう。また、当時伯爵の右腕となって働いたのが、ムートン・ロスチャイルドの責任者でもあり、ラグランジュの管理人を務めていたガロス(Galos)です。彼のサポートを受けながら、デュシャテル伯爵はラグランジュを頂点に君臨する存在へと育て上げるのです。

 

二人はシャトーに革新的進化をもたらしました。例えばウドンコ病対策に硫黄の使用を導入したり、とりわけぶどう畑の地中に素焼き土管を埋め込む排水設備(暗渠排水)の整備では先駆者的地位を確立しました。

また、当時のラグランジュでは盛大な祝宴が多数催され、上流階級の社交場として、芸術家たちにとっては多くのインスピレーションを得られる場として栄華を極めました。

 

1867年、デュシャテル伯爵の死後、夫人が所有権を引き継ぎますが、彼女はすでに高齢だったため、二人の子供たちに助けられながらシャトー運営を続けます。しかし、その後に待ち受けていたのは暗黒の月日。フィロキセラ危機、世界大戦、火災事故、ぶどう畑に被害をもたらす様々な病害虫、経済・財政危機… シャトー・ラグランジュも無関係ではいられませんでした。そして1983年、日本のサントリーがセンドーヤ家(Cendoya/1925年にシャトーの所有権を取得)からラグランジュを買収します。買収当時、面積は157ヘクタール、ぶどう畑は56ヘクタールにまで縮小された状態でした。

新たな時代の幕開け

 

格付グランクリュ、シャトー・ラグランジュ復活の立役者となるのが、当時のサントリー社長・佐治敬三と副社長・鳥井信一郎でした。

ワイナリーの抜本的な再編を進めるにあたって、ボルドー醸造学研究所出身のマルセル・デュカス(Marcel Ducasse)、そしてサントリーからは鈴田健一(のちに椎名敬一)を抜擢。 初期10年間はチーム一丸となって大規模なドメーヌの改革プロジェクトに取り組み、かつての荘厳優美なクリュとしての威光を取り戻すことに注力しました。

たゆまぬ熱意と献身的作業、そして確固たるノウハウを駆使しながら、30年という歳月を費やしようやく復活をとげたシャトー・ラグランジュ。その物語に終わりはありません。“エクセレンス=秀逸であること”を徹底的に追求し、シャトーのさらなる価値向上に努めること。 現在、事業推進の手綱はマティウ・ボルド(Matthieu Bordes)とスタッフたちに委ねられています。テロワールの魅力を余すことなく体現した、エレガントで個性あふれる、サンジュリアンの名声に恥じることのないワインづくりに取り組んでいます。