デュシャテル家:黄金時代
1842年から1875年、まさにラグランジュの「黄金時代」です。その当時、シャトーの所有権はデュシャテル伯爵(Comte Duchâtel)にありました。彼はフランス国王ルイ・フィリップのもとで内務大臣を務めていた人物で、1855年のラグランジュの格付第3級入りも、常に長期的視点に立ち、先見の明に長けていた伯爵の功績といえるでしょう。また、当時伯爵の右腕となって働いたのが、ムートン・ロスチャイルドの責任者でもあり、ラグランジュの管理人を務めていたガロス(Galos)です。彼のサポートを受けながら、デュシャテル伯爵はラグランジュを頂点に君臨する存在へと育て上げるのです。
二人はシャトーに革新的進化をもたらしました。例えばウドンコ病対策に硫黄の使用を導入したり、とりわけぶどう畑の地中に素焼き土管を埋め込む排水設備(暗渠排水)の整備では先駆者的地位を確立しました。